「アルコール依存症」と聞けば、特別な環境で特別な人が自ら引き起こす病—— といった印象を持つ人も多いのではないでしょうか。しかし「自分は大丈夫」と考えている人でも、毎日の飲酒が欠かせないのであれば、それはすでに依存症の“危険サイン"が点灯した状態なのです。『そろそろ、お酒やめようかなと思ったときに読む本』(青春出版社)の著者である東京アルコール医療総合センター・センター長、垣渕洋一先生に、近年の日本のアルコール消費傾向や、誰にとっても身近な存在である「依存症の入り口」についてうかがいました。
聞き手は、ノンアル・低アルドリンクやスペシャルティドリンク専門のECサイトを運営する「Beverich」の代表・木下です。
コロナ禍を経て飲酒習慣はどう変わったか?
—— 垣渕先生のご著書『そろそろ、お酒やめようかなと思ったときに読む本』(青春出版社)を読まれた木下が、「ぜひお話をうかがってみたい」と切望されたことをきっかけに、この場が実現しました。
木下慶(以下、木下):
はい。健康や仕事のパフォーマンスを気にしてお酒をやめたことをきっかけに、昨年わたしは事業を立ち上げましたが、先生の本を読んで「アルコール依存は、こんなに身近な問題なのか」と改めて実感することになりました。今日は色々おしえてください、どうぞよろしくお願いします。
垣渕洋一先生(以下、垣渕先生):
こちらこそ、よろしくお願いします。
——木下も1年ほど前にお酒をやめましたが、垣渕先生は、コロナ禍を経て、日本人の「お酒との付き合い方」はやはり変化したと思われますか?
垣渕先生:
日本人1人当たりの平均の飲酒量というのは、コロナ禍に関わらず以前から下降を続けていて、ここ数年を見ても減少傾向にあります。「忘年会スルー」などという言葉が流行ったように、飲み会の参加や実施が減ってきていることが度々話題になりますよね。
木下:
そうですね。特に若年層ではあえてお酒を飲まない「ソバーキュリアス」というスタンスを持つ人も増えてきていると感じます。
垣渕先生:
はい、全体量としては減少を続けているんです。ただ、減少しているのはあくまで「全体」「平均」であって、日本では最も飲酒が多い20%の人々がすべてのアルコール消費量の70%近くを消費していると言われていますから、なかには状況が深刻化している人もやはりいるんです。
コロナ禍での飲酒動向の研究も、これから発表されていくことと思われますが、臨床家としての経験上、この期間に飲酒量が極端に増えてしまった人は思いの外多いのではないかと考えています。
社交のために飲酒していた人は、飲み会などの付き合いが減って飲酒量は減少したかもしれませんが、逆にお酒そのものが好きであった人は、1人で引きこもって飲む時間が増え、飲酒量が増加してしまっているのではないか、ということですね。
木下:
ああ、それはあるかもしれませんね。
垣渕先生:
自宅にいる時間が増えたからと言って、「もっとお酒を飲めないか」と考えてしまう——そういった思考を持つ時点で、すでに依存症は始まっているんですよね。
メンタルへの効用は、アルコールの一側面
——先生のご本の「アルコールは、薬物である」という一節にも、ハッとしました。「嗜む程度であれば、健康に良い」というのは誤った認識ということでしょうか?
垣渕先生:
アルコールにも「メンタルへの効用」(※後述)はあるので、身体的なリスクを引き受けられる範囲で飲酒する分には、「嗜む程度であれば健康に良い」というのも、まったくの嘘ではないと考えています。
しかしそれは、あくまでアルコールの一側面で、健康への影響を考えると「薬物である」という点を無視することはできません。飲酒量に比例して健康障害のリスクが高くなることも、すでに証明されていることですので。
木下:
一つ疑問なのが、同じように健康に影響をきたすタバコについては、WHOの提言以降、パッケージに注意文言が含まれるようになったり、喫煙所が減らされたり……と明らかに扱い方が変わってきていますよね。実際に喫煙率も大きく下がりました。しかし一方でアルコールについては、WHOが警鐘を鳴らしているにも関わらず、特に日本では、社会や人々の意識にあまり変化を感じません。どうしてなのでしょうか?
引用:垣渕洋一「アルコール(薬)との上手な付き合い方から依存症まで」
垣渕先生:
そうですね、それはやはり、それだけお酒が好きな人、そしてお酒によって利益を得ている人が、いかに多いかということも関係していると思います。
木下:
なるほど、そういった背景があるんですね。
以前に、ロンドンでお酒を買ったときには驚きました。パッケージに「1週間に飲酒可能なユニット(純アルコール数8グラムを基準にした単位)を超えないようにしましょう」ということがきちんと明記されていたんです。日本でもようやく、アサヒビールさんがアルコールのグラム数を表記するようになったことも最近話題になりましたよね。
遅ればせながら、今後日本も同じ道を今後は辿っていくのでしょうか?
垣渕先生:
おっしゃる通り、出遅れ気味であることは否めませんが、日本でも少しずつ進んでいくとは思います。ただ、単純に「飲酒ガイダンス」を厳しくするだけでは、難しいこともいっぱいあります。カナダでは今年、飲酒ガイダンスを厳しくしたことにより、酒造メーカーが反発するという事態が起きました。
それに、先ほど「メンタルへの効用」と言いましたが、お酒を使うことによって心の平安を保っていた人、 精神的な安定のための拠り所としていた人たちはどうすればいいのか? という問題もやはりあります。その代わりになるものがなければ、ガイダンスを破って飲酒することになり、どんどん地下へと潜ってしまうだけですから。
木下:
アルコールの力を借りずにはいられない、という方もやはりいらっしゃるわけなんですね。
垣渕先生:
そうですね。実際、もしアルコールに依存性がなく臓器障害もなければ、精神科薬としての価値はすごく大きいと思いますね。
たとえば、神経伝達物質であるGABA(ギャバ)の受容体にアルコールがくっつくと不安が取れたり、気持ちが落ち着くという作用があります。あがり症で、人前で話すとドキドキして赤面してしまうという人が飲めば、人の目が気にならなくなったりもします。
また、アルコールを摂取するとセロトニンという神経伝達物質が増えるんです。そうすると、抑うつ気分が晴れるということもあります。仕事で失敗した、失恋した、大事な人を亡くした……そういうときにお酒を飲めば一時的に楽になれるのはこのせいですね。「やけ酒」というのは、この効果を狙っているものなんです。
そしてオピオイド受容体にアルコールがくっつけば、精神的な痛みも体の痛みも軽減されます。毎日大量にし続けていると歯を磨くのも面倒になって、歯がボロボロになってしまったという人も結構多いんですが、お酒を飲み続けていれば、虫歯の痛みも感じないんです。だけど入院して、酒の酔いが冷めてくるとみなさん「あっちが痛い」「こっちが痛い」「早く歯科を受診したい」となるわけです。
木下:
痛みにもずいぶん鈍感になってしまう。よく考えると、とても恐ろしいことですね。
垣渕先生:
飲み続けると「耐性」と言って、アルコールとしての効き目もだんだん薄れてきますから、酒量を増やすしかなくなるんですよ。人は、なかなか「耐性ができてしまってまずいから、しばらく酒をやめよう」とは考えられないものです。「効果を得られるまで飲もう」とどんどん酒量が増えていきます。そして一定ラインを超えると、お酒によって得られるメリットよりも、害の方が当然大きくなるわけですね。
まずは「自覚」すること
——知らぬ間に、依存症のその入り口に立っている方も多いかもしれませんね。
垣渕先生:
そうですね。ただ厄介なのは、依存を自覚することはなかなか簡単ではないということです。
実は、『そろそろ、お酒やめようかなと思ったときに読む本』を書きはじめたきっかけは、この本を担当してくれた編集者の方が、ご自身の飲酒習慣について「少しまずいんじゃないか?」と初期段階で自ら感じたことだったんですよ。そこで、依存症についての本を作りたいんだ、という話でした。
このように初期段階であれば、自覚し、何らかの行動に起こすことはできるものです。だけど不思議なのは、ある一線を超えてしまった人たちは深刻さへの自覚がストンと落ちる。そういうポイントがあるんですよ。「何がまずいんだ?」となってしまうわけです。
木下:
それは興味深いですね。
垣渕先生:
そういったこともあって、この本を作るときには「どの層にフォーカスした内容がいいのか」について、編集者の方とずいぶんディスカッションしました。
つまり、非常に重篤な依存症の人にフォーカスして書いてしまうと、担当編集者のような初期段階の人にとっては「これは自分の話ではないな」という内容になってしまい、何も気づきを与えることができないんですよね。またその逆も然りです。
ですが、せっかく本を書くならば、より広い人たちの役に立つようにしたいという想いから、結果的には、前半では自覚のある初期段階の方に向けて語り、後半では重症の方のために向けて語ることにしたんです。
木下:
なるほど。だからこそ、自覚してすでに飲酒を辞めているわたしも身近に感じることができたんだと思います。
ちなみに、自分でアルコール依存についてチェックする方法などはあるんでしょうか?
垣渕先生:
「AUDIT (Alcohol Use Disorders Identification Test)」というテストでご自身でも簡単にチェックをすることができます。
最近は飲酒外来や飲酒量低減外来も増えてきているので、早めに受診するというのも手です。
最初に起こってくるのは抑鬱状態が多いんですよ。なんだか鬱々としたり、寝ているのに疲れが取れていない感じがする、熟眠感が得られない、パフォーマンスが落ちてやる気も出ない……といった症状です。身体的には、肝炎が出ている、血糖値が上がっている、ldlコレステロールや中性脂肪が高くなってきた、というのも注意です。少しでもまずいと思った時点で専門クリニックに足を運ぶのがおすすめです。
何のための飲酒なのか?を考える
——先生は普段、患者さんをどのような方法で減酒や断酒に導かれているのでしょうか?
垣渕先生:
もっとも多いのは、
1:一般的知識の提供
→2:その方についての情報提供
→3:事実の共有
→4:目的と目標の設定
→5:目的と目標達成のためのプラン・システム作り
→6:PDCAサイクルを回す
といった流れですね。
木下:
そういった順に行われるんですね。なかでも「肝」はなんですか?
垣渕先生:
「何のためのお酒なのか」を丁寧に紐解く、ということが大事だと思います。そうすることで、たとえば代替の何かが見つかることもありますから。
木下:
ああ、それはとてもしっくりきます。わたしはお酒の味が好きで、なかでも食事との相性に大きな価値を感じていました。ですが、これってお酒じゃなくてもいいんじゃないかと。ノンアルコールの飲料でも食事とのペアリングを楽しむことは可能だと感じた実体験が、今の事業を始めるきっかけになったんです。
垣渕先生:
なるほど。代替を見つけることは非常に大切ですね。たとえばお酒が趣味になってしまっている人には、スポーツや山登りをすすめます。運動するとドーパミンが出ますので。依存症まで陥ってしまっている人のなかには、 ハマりやすくてこだわりが強い、という特徴を持つ人も多いです。マラソン大会や山登りで達成感を得て、仲間ができたら、それも非常にいいことですよね。
また、アルコール無しの状態で人に弱音を吐いたり相談したりすることが苦手な人には、シラフでも話せる相手を見つけることをおすすめしています。
木下:
それも非常に重要なことでしょうね。日本だと「大事な話をしよう」「相談があるんだ」というシーンで、お酒を酌み交わすことが非常に多いですが。
垣渕先生:
そうですね。それを「カフェで美味しいお茶を飲もう」「ちょっと甘いものを食べよう」という習慣に、思い切って変えてみることもきっとできるはずです。アルコールに酔って感情的に会話をするよりも冷静な判断やアドバイスができるでしょうし、お茶であれば「結局何を話したか忘れてしまった」なんて残念なことも起こりません。
お酒を手放すと、どうなるか。
——代替品として「ノンアルコール飲料」を活用することについては、どのようにお考えでしょうか。
垣渕先生:
依存症の方が断酒開始初期の代替として活用することは、わたしはおすすめしません。味や喉越しが、飲酒欲求を起こす刺激になるからです。
ですが、断酒が安定している方が、ノンアルコールビールで満足できるなら、それは賛成です。飲みすぎないために、アルコールを一杯飲んだら二杯目からはノンアルコールに切り替える、という使い方も非常にいいと思います。
木下:
弊社としてもそういう方々にノンアルコール飲料を活用していただきたいと考えています。
先生は、お酒を手放すことで、暮らしをどのように変えることができるとお考えでしょうか。
垣渕先生:
効用は、非常に多くあると思いますね。
・ぐっすり眠れるようになる
・夕食の量と体重が減る
・肌の調子がよくなる
・出費が抑えられる
・生活習慣病やガンのリスクが低くなる
・思考がクリアになる
・時間にゆとりができる
予備軍の方なら、手放して1週間もしないうちに何らか実感できることと思います。依存症になって合併症がたくさんある人に関しては、実感するまでに多少時間がかかってしまうでしょうが、本質的には何も変わりません。その他、飲酒運転のリスクがなくなる、仕事で失敗しない、家族関係が良くなるなど、副次的な効果もたくさんあるはずです。
木下:
アルコールの影響は、周りの人への影響も含めて本当に多岐に渡るんですね。
垣渕先生:
そうなんです。タバコや薬物と比較しても、アルコールの害は、他人に及ぼす悪影響が大きいのが特徴です。もちろん、タバコも受動喫煙の問題があって、同居している家族は健康被害を受けるというのはあるんですが、例えば禁煙できないから離婚になった、破産した、という話はあまり聞いたことがありません。けれども、断酒ができなくて離婚に至った、自己破産してしまった、という人は数えきれないほどいるんですよね。
引用:垣渕洋一「アルコール(薬)との上手な付き合い方から依存症まで」
一度依存症になったら「治癒」はありません。ただ断酒して、「飲んでいれば幸せ」という状態から「シラフの方が幸せ」という生き方に転換し「回復」することはできます。困難と苦労も多い過程ですが、やるべきことをきちんとやれば、回復できる病です。「依存症になったから、人間として成長することができた。今が一番幸せ」という域まで達する人もまた少なくはないんです。
木下:
それは、治療中の方には励みになりますね。まずは自覚することがその一歩、ですね。その際にも先生の本は、非常に役立つと思います。
今日は、貴重なお話をどうもありがとうございました。
◆ 垣渕洋一
東京アルコール医療総合センター・センター長。成増厚生病院副院長。医学博士。筑波大学大学院修了後、2003年より成増厚生病院附属の東京アルコール医療総合センターにて精神科医として勤務。アルコール依存症の回復には行動変容が重要だという信念のもと、最新の知見を応用した治療を行い多くの回復者を送り出している。臨床のかたわら、学会や執筆、地域精神保健、産業精神保健でも活躍中。